神殿奉献の際のソロモンの祈りとして記されている。同じ祈りは列王記上8:22以下(この日の日課と同じ部分なら30節まで)に記されている。
歴代誌はサムエル記・列王記を底本に、独自の資料を加え、かなりの編集を施して書かれた。この部分は、列王記の記述をほとんどそのまま引用している。
列王記におけるソロモンの祈りは、申命記的歴史家が時代の分かれ目に置いている「演説」の1つであると考えられる(他に、ヨシュア記23章、サムエル記上12章、下7章など)。神殿が建設され、サムエル記下7:13に記されている、「ダビデの息子による神殿建設」という「預言」が実現したことをもって、時代の分かれ目とされている。それはまた、「ダビデの王朝」という「預言」(サムエル記下7:11)が実現した瞬間でもあった。
歴代誌は、列王記が記す王位をめぐる宮廷の紛争を省き、「禅譲」された王としてソロモンを描く。そしてそのソロモンは、ダビデがその建築のために周到に用意した神殿を、実際に建築させたものとして、奉献の祈りを祈る。それは、何よりも、ダビデ王朝成立と、自己の正当性の宣言であった(15〜16節)。
さらに、ソロモンは、「罪の赦し」を願う(21節)。この後、長い祈りは、この点からだけ語られる。勿論、この後の歴史を、ユダ王国の滅亡という最期までも知っている語り手は、神の「裁き」としての国家滅亡という神学的答えから語っているのだが、読者に、「祈りを聞き届ける神」、とりわけ、祈りに応えて「赦す神」を印象づけるために、このように、ソロモンに語らせるのだ。