2010年3月15日月曜日

復活前第2主日

哀歌3:(1〜9)18〜33

哀歌は、エルサレムの陥落とユダの滅亡を嘆く気持ちを、アルファベット詩(各行の最初をヘブライ語アルファベットの各文字で始める作詩法)で歌い上げる。
その中で3章は、各文字で始まる行は3行、ヘブライ語アルファベットは22文字あるので、全体で66行で構成される。内容を見ると、エルサレムないしは民が一人称で嘆いている(「わたしは/主の怒りの杖に打たれて苦しみを知った者」1節、「わたしたちは自らの道を探し求めて/主に立ち帰ろう」40節など)。その嘆きは、「慈しみの絶えない」「憐れみの尽きない」ヤハウェへの信頼の告白となり(22節)、最後には、自分たちを苦しめる「敵」に対する裁きの訴えとなる(62節以下)。

ヘブライ語聖書、「審判」は「悔い改め」を呼び起こすが、「回復」のためには「諸国民に対する審判」を必要とする。預言書は一般に、「イスラエル(ユダ)に対する審判」「諸国民に対する審判」「イスラエル(ユダ)回復の預言」
と構成される。哀歌3章も同じ論理構造を共有していると言えるだろう。
あるいは、詩編に見られる個人(共同体)の嘆きの詩のように、苦境からの救いは、同時に、自分を苦しめる者の没落・破滅をも意味する。

「人の子らを苦しめ悩ますことがあっても/それが御心なのではない」(33節)という、「摂理」的な発言も、このような文脈の中で読めば、異なる様相を呈することになる(この「摂理」的表現の故に、福音書日課、ことに受難予告と関連づけられているものと思われる)。これは、自分を苦しめる者(哀歌の場合は、エルサレムを陥落させた帝国)に対する審判を、その滅亡を期待する言葉として響いてくる。

伝統的に復活前(受難・四旬)節、とくに受難(聖)週に朗唱されてきた(この日の箇所に選ばれているのも、そのような伝統に基づいたものであろう)。それは、エルサレムの陥落、ユダの滅亡を嘆く思いを、イエスの死を悼む気持ちに重ね合わせたからだろう。ただ、それは、イエスを「殺した」者たち、とくにユダヤ人に対する「報復」の気持ちを起こさせることになりかねない。イエスの受難物語は、福音書によって程度の差はあるものの、その「責任」を、実際に死刑を執行したローマ権力にではなく、ユダヤ人、ことにその宗教的指導者に負わせようとしているからである。
強烈な民族意識、エルサレム指向を持つ哀歌が、反セム主義的な色合いを帯びるアイロニーが、こうして生まれることになる。

2010年3月9日火曜日

復活前第3主日

出エジプト記24:12〜18

この日のヘブライ語聖書日課は、「山上の変容」でイエスと語り合っていたモーセ(マルコ9:4)に関するものである。

出エジプト記24章は、資料仮説上の難箇所として知られている。誰が何度山に登ったのか、テクストは錯綜していて、よく分からない。ただ1つ、はっきりしていることは、山の上で「契約締結の儀式」が行われ、儀式の一部として食事が行われたことである(8、11節)。

その後、モーセはひとり(ヨシュアは伴っていたが)、再び山に登り、「教えと戒めを記した石の板」を受け取るよう命じられる(12節)。しかし、現在の文脈では、モーセが受けたのは石の板のみならず、会見の幕屋と契約の箱の製作に関する指示も、この「40日40夜」の間に受けたことになっている(25〜31章)。
この箇所でモーセだけが山の上におり、ヤハウェの「栄光」を表す「雲」に包まれている(16節)というのは、モーセの「独一性」を強調するためであろう。契約の場面でも、モーセだけが「契約の書」を読み、ヤハウェと民の仲立ちとなっていた(7〜8節)。「教えと戒め」も、モーセだけが取り次ぐ(詩編103:7参照)。その場面は、人々の目からは「雲は山を覆った」としか見えなかった(15節)。

仲保者を限定し、その存在を特別なものにしようとするのは、その人物を通して伝えられたと考えられる「教えと戒め」を神聖なものにしようとする動機からであろう。しかし、そのようにして独自性や神的起源を強調すればするほど、そのようにしなければならない「事情」があるのだということを印象づけてしまう。結果として、読者は、この「教えと戒め」の起源について、テクストの記述を疑うようになる。皮肉なことである。