出エジプト記17:3〜7
エジプトを脱出した後、民は、食糧と水の不足という、生存を脅かす事態に遭遇する。食糧は「マナ」と「うずら」で解決される(16章)。そして、水についてが、この日課である。
水がないという「不平」(3節)を聞いたモーセは、「ナイル川を打った(出7:20)杖」で岩を打って、水を出すよう命じられる(6節)。
この杖には水に関する呪術的力があるのかとも思わせるが、現在の物語は、この場所が「マサ(試し)とメリバ(争い)」と名付けられること(7節)が中心となっている。
興味深いのは、民が「モーセと争い、ヤハウェを試した」と、この物語の枠になる部分に記されていることである(2、7節)。この出来事が、ヤハウェに対する不信として見なされているだけでなく、モーセに対する「争い」、その正当性をめぐるチャレンジとして受け止められていて、この2つは同質ものとして結びつけられている。神の「代理人」たるモーセに対する挑戦は、ヤハウェに対する不信と見なされている。
ヘブライ語聖書では、他にサムエルがヤハウェの「唯一の代弁者」となり、サムエルの内面でさえ、両者の区別がつきにくくなっている様子がうかがわれる(サム上8:7)。モーセにもこのような状況にあったのだろうか。
モーセの言葉を聞く側はどうだったのだろう。モーセの言葉とヤハウェの言葉の区別はついていたのだろうか。モーセの語るヤハウェの言葉に忠実であることを求められ、そうしてきた者は、ヤハウェの言葉を語っていなくてもモーセに従おうとはしなかったのだろうか。
この「誘惑」は、すべての「指導者」にある。