サムエル記上3章1〜10節
サムエルの「召命」として、よく知られたエピソードである。「どうぞお話しください。僕は聞いております」(10節)というフレーズは、いろいろな場面で引用される。
この日の日課として選ばれているのは、神からの語りかけということが他の日課と関連しているからだろう。
福音書では、イエスが、弟子となるアンデレやペトロ、フィリポ、ナタナエルに「語りかける」(39、42、43、48節)。語りかけられた弟子たちも、語りかける(41、45節)。語りかけられた者が弟子となる。
使徒書では、パウロが、自分が「語りかけられた」体験を語る(使徒9:1-31参照)。
興味深いのは、日課が10節までで、その後の、ヤハウェのメッセージ本体を含んでいないことである。ヤハウェは、エリの息子たちの不行状(サム上2:12-17、22)を指摘した(2:27-36)にも関わらず、それが改まらなかったゆえに、エリの家を「とこしえに裁く」と告げる(13節)。エリも以前に息子たちを叱っていたからか(2:23-25)、サムエルの語った言葉をヤハウェの言葉として受けいれる(18節)。
サムエルが語ったことは実現し(4:11、18-22)、サムエルは真正の預言者として認められることになる(「(サムエルの)言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。……イスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼するに足る人であることを認めた」3:19-20)。「主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった」時代に、サムエルは、事実上、唯一のヤハウェの意志の代弁者となった。
そのことをサムエルは、エリから、語りかけているのがヤハウェであると指摘されたときに(8節)自覚し始めたのではないか。自分が語られた言葉はエリとその家(ひょっとすると、世襲の士師=王に近いものを意味するのかも知れない。サム下7:11参照)に対する断罪を告げるものであったが、サムエルは自分がその後継者となることを、同時に感じたかも知れない。実際、エリが士師であったように(4:18)、サムエルも士師として「イスラエルのために裁きを行った」(7:15-16)。そして、エリが息子たちを自分の後継者として考えていたように(「家」)、サムエルも自分の後継者として息子たちを任命する(8:1)が、その息子たちは、エリの息子たちのように不正を行った(8:3)。
結局、ヤハウェからの語りかけはサムエルとの特別な関係を築く端緒となるものの、その特別な関係と地位により、サムエルは自らを特別視し、自らが裁きの言葉を伝えたエリとその家のようになってしまったのではないか。神の言葉を受け、それを伝えていると自認している者、その「権威」を持っていると感じている者への警告のように思えてくる。