アブラハム物語のターニングポイントの1つ。
資料仮説では、E(より正確には、JE)の始まりとされる。資料仮説によれば、アブラハムの「召命」の記事はそれぞれの資料に1つしかなく(Jは12:1〜9、Eは15章、Pは17章)、3度ヤハウェが語りかける現在の物語は資料合体の結果であるとされる。
しかし、「3度」というのは、物語において普遍的なくりかえしの回数であり、資料への分割は、物語という観点からはあまり説得力がない。そして、15章の「語りかけ」は2度目であるため、読者は、それが(3度目でないために)決定的なものでないという予測をもって読むことになる。
アブラムは、ヤハウェにくってかかる(2〜3節)。ヤハウェは、子孫についての約束(あるいは自己弁護)を余儀なくされる(7節)。それでも納得しないアブラム(8節)に対して、ヤハウェは「深い眠り」をもたらし、「啓示」を与える(13節以下)。「深い眠り」は創世記2:21にも用いられているが、ヘブライ語聖書では、通常の眠りとは異なるものとして理解されている。そこで神の語りかけを聞いたり、お告げの夢を見たりする(ヨブ33:15)。あるいは、サウルのように、前後不覚になる(サム上26:12)。
ここで、「深い眠り」に陥ったことで、アブラムはヤハウェに問いかけや反論ができなくされた。ヤハウェの言葉は、他の土地での寄留(13節)などより具体的なことを語っているように見せながら、その本質においては先の約束と変わらない(「この土地を与える」18節。13節参照)。アブラムの反応を封じ込めた上で、同じことを繰り返しているのだ(「あなたから生まれる者が後を継ぐ」という言葉(4節)を、アブラムはサライに語ったのか。16章の読みに影響を与えるが、今回は深入りしない)。
ヤコブの手紙は、「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認めた」(6節)という言葉を、パウロとは異なり(ガラテヤ3:5〜6)、「人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのでは」ないことの根拠として用いる(24節)。パウロもヤコブの手紙の著者も、「義と認めた」の主語を「神」としているが、むしろ、「アブラムがヤハウェの(約束)を義と認めた」とする方が、このエピソードの文脈にあっていると思われる(詳しくは、水野隆一『アブラハム物語を読む』127〜130ページ参照)。