2010年3月9日火曜日

復活前第3主日

出エジプト記24:12〜18

この日のヘブライ語聖書日課は、「山上の変容」でイエスと語り合っていたモーセ(マルコ9:4)に関するものである。

出エジプト記24章は、資料仮説上の難箇所として知られている。誰が何度山に登ったのか、テクストは錯綜していて、よく分からない。ただ1つ、はっきりしていることは、山の上で「契約締結の儀式」が行われ、儀式の一部として食事が行われたことである(8、11節)。

その後、モーセはひとり(ヨシュアは伴っていたが)、再び山に登り、「教えと戒めを記した石の板」を受け取るよう命じられる(12節)。しかし、現在の文脈では、モーセが受けたのは石の板のみならず、会見の幕屋と契約の箱の製作に関する指示も、この「40日40夜」の間に受けたことになっている(25〜31章)。
この箇所でモーセだけが山の上におり、ヤハウェの「栄光」を表す「雲」に包まれている(16節)というのは、モーセの「独一性」を強調するためであろう。契約の場面でも、モーセだけが「契約の書」を読み、ヤハウェと民の仲立ちとなっていた(7〜8節)。「教えと戒め」も、モーセだけが取り次ぐ(詩編103:7参照)。その場面は、人々の目からは「雲は山を覆った」としか見えなかった(15節)。

仲保者を限定し、その存在を特別なものにしようとするのは、その人物を通して伝えられたと考えられる「教えと戒め」を神聖なものにしようとする動機からであろう。しかし、そのようにして独自性や神的起源を強調すればするほど、そのようにしなければならない「事情」があるのだということを印象づけてしまう。結果として、読者は、この「教えと戒め」の起源について、テクストの記述を疑うようになる。皮肉なことである。