2009年4月19日日曜日

復活節第4主日(5月3日)

ネヘミヤ記2:1〜18

 ネヘミヤによるエルサレムの城壁再建の発端。

 ネヘミヤは、ペルシャ王の「献酌官」という高い地位を利用して、エルサレムへ赴き、城壁を再建する許可を得る。その際のネヘミヤの外交的手腕(2〜8節)や情報収集のための努力(11〜15節)は、この計画に対するネヘミヤの熱意を表している。
 そのような熱心な企てに対して賛成・反対の両方の反応があるのは、常のことである。「機嫌を損ねた」人々もあり(10、19節)、「良い企てに奮い立った」人々もあった(18節)。ネヘミヤ記はネヘミヤの立場に同情的に書かれているのだから、もちろん、賛成した者は「善」、反対した者は「悪」と描かれる。
 問題は、現代の読者が、それをそのまま受け入れるかどうかである。ペルシャ王に対しては外交的によく錬られた交渉をした人物が、彼が「敵」と見なした人々に対してこれほどまでに高圧的なのはなぜなのか。王の許可があるからという後ろ盾がそうさせたのか。そもそも、他国の支配者の権威に基づいてエルサレムの再建を果たすというのは、ヘブライ語聖書全体から見たときには、あまり歓迎されないことではないのか。ネヘミヤの物語を読むと、さまざまな疑問が湧いてくる。
 とりわけ、現代に生きる読者にとって大きな疑問は、「敵」と「味方」しか存在しないという認識の方法は正しいのか、というものである。ネヘミヤ記を貫くこの認識方法を疑ってしまうと、ネヘミヤ記、そしてヘブライ語聖書全体に関わる疑問を持つことになるのだが、「Aと非A」で物事を区別しようとする傾向のある私たちにとって、少なくとも警鐘を鳴らす役割はするだろう。

 他の日課との関連は、大変難しい。
 ネヘミヤは「来るべき者」であるが、それは、「真の来るべきメシア」(ヨハネ11:27)の予型なのか。
 ネヘミヤの「企てに奮い立った」ように、"霊"の賜物を受けている者たち(1コリ12:4)は、「全体の益」となるべく働くよう、勧められているのか。