エリヤの「奇跡」の記事2つ。
前半は、サレプタに住むやもめの家の「壷の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった」(16節)ことが記される。後半は、そのサレプタのやもめの息子を、エリヤが生き返らせた記事。
エリヤの物語全編は、エリヤの視点から書かれている。それを他の登場人物の視点、例えば、サレプタのやもめの視点から読み直した場合、別の物語として浮き上がる。
ヤハウェの命でサレプタのやもめの家に身を寄せたエリヤ。もし、子どもを死なせたのがヤハウェならば、やもめの嘆き(18節)はもっともなものだと思う。これを受けて、エリヤもヤハウェに訴えかける(20節)。ヤハウェはエリヤの願いを聞き届けた(22節)が、それは、自らの責任を認めたためだろうか。
理不尽な命令に従わされ、息子の命も奪われたやもめの必死の嘆きは、エリヤの感情を刺激し、ヤハウェの責任意識にも訴えかけたと読める。彼女の存在なくしては、エリヤが生きながらえることはできなかったし、この後、アハブ=イゼベルと対決することもなかったのだから、エリヤもヤハウェも、彼女の声には聞き従わざるを得なかったのだろう。
使徒書として選ばれているコロサイの信徒への手紙3:1〜11と並置されると、サレプタのやもめの子どもが「蘇生」したことが「キリストと共に復活させられた」(1節)と解釈される。そして、そのことは、倫理的な勧めへとつながっていく(5〜9節)。